お陰様で ぷりりん です。
和歌山県高野山は、世界遺産です。神社仏閣と世界遺産好きの私は、一度は行ってみたかった場所の一つです。高野山は、とても広いので今日は、その内の「壇上伽藍」をまとめました。
目次
- 1 観光高野山の歴史と壇上伽藍
- 2 高野山観光 壇上伽藍手水舎
- 2.1 高野山の観光 中門(ちゅうもん)
- 2.2 心安らぐ場所:金堂
- 2.3 登天の松と杓子の芝(とうてんのまつとしゃくしのしば)
- 2.4 高野山の観光 六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
- 2.5 御社(みやしろ)と 山王院(さんのういん)
- 2.6 西塔(さいとう)
- 2.7 孔雀堂(くじゃくどう)
- 2.8 逆指しの藤(さかさしのふじ)
- 2.9 准胝堂(じゅんていどう)
- 2.10 御影堂(みえどう)
- 2.11 三鈷の松(さんこのまつ)
- 2.12 大塔(だいとう)
- 2.13 対面桜(たいめんざくら)
- 2.14 大塔の鐘・高野四郎(こうやしろう)
- 2.15 愛染堂(あいぜんどう)
- 2.16 不動堂(ふどうどう)
- 2.17 勧学院(かんがくいん)
- 2.18 蓮池(はすいけ)
- 2.19 大会堂(だいえどう)
- 2.20 三昧堂(さんまいどう)
- 2.21 東塔(とうとう)
- 2.22 智泉廟(ちせんびょう)
- 2.23 蛇腹路(じゃばらみち)
- 2.24 六時の鐘(ろくじのかね)
- 3 魅力的なイベント:朝の勤行
- 4 高野山旅行 参考にした本
- 5 終章:高野山壇上伽藍でのひととき
観光高野山の歴史と壇上伽藍
和歌山県に位置する高野山は、空海(弘法大師)が816年に開山した日本仏教の聖地です。山中には多くの寺院や仏閣が点在しており、その中でも壇上伽藍(だんじょうがらん)は特に重要な場所とされています。
壇上伽藍は、高野山の中心的な修行の場であり、空海自身が設計したと言われる多くの建物が集まっています。ここでは、高野山の真髄に触れることができると同時に、日本の歴史と文化を深く学ぶことができます。以後の各諸堂の案内順番は、高野山に伝わる『両壇遶堂(りょうだんにょうどう)次第』に則っています。ご紹介順に諸堂をご参拝されますことをおすすめ致します。
高野山観光 壇上伽藍手水舎
住所:〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山壇上伽藍内
高野山の観光 中門(ちゅうもん)
くわしくは、「【世界遺産】高野山観光神秘と歴史の 中門 への旅【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧ください。
心安らぐ場所:金堂
壇上伽藍にはもう一つ重要な建物である金堂(こんどう)があります。金堂は高野山の中心的な本堂であり、ここで多くの重要な仏教儀式が行われます。堂内には美しい仏像や絵画があり、訪れる人々に深い感動を与えます。
金堂の前庭には美しい庭園が広がり、静寂の中で心を落ち着けることができます。庭園を散策しながら、心身をリフレッシュさせることができるでしょう。
詳しくは、「【世界遺産】高野山 金堂 の魅力を堪能する旅へ【和歌山県神社仏閣巡り】」↓ をご覧ください
登天の松と杓子の芝(とうてんのまつとしゃくしのしば)
金堂の西側に位置する松の木は、〈登天の松(とうてんのまつ)〉と呼ばれています。壇上伽藍の北側に位置する明王院の僧、如法(にょほう)上人が、久安5年(1149年)にこの松より弥勒菩薩の浄土へと昇天されたそうです。ちょうどその折、斎食の用意をしていた弟子の小如法は、師匠が登天するのを見て、あわててその後を追って昇天されたそうです。その時、小如法の手には杓子が握られており、昇天の途中にこの杓子が落ちてきたそうです。当時はこの松の周辺には芝が生い茂り、そこへ杓子が墜ちてきたことから〈杓子の芝(しゃくしのしば)〉と呼ばれるようになりました。
高野山の観光 六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
詳しくは、「【世界遺産】高野山 六角経蔵 訪問記 経典の宝庫と静寂の調べ【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧ください。
御社(みやしろ)と 山王院(さんのういん)
詳しくは、「【和歌山県神社仏閣巡り】高野山の神秘 心の癒しを求めて 御社(山王院本殿)と 山王院 へ【世界遺産】」 ↓ をご覧下さい。
西塔(さいとう)
詳しくは、「【世界遺産】高野山観光 西塔に訪れてみませんか?【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧ください。
孔雀堂(くじゃくどう)
詳しくは、「【和歌山県神社仏閣巡り】高野山 孔雀堂 への旅 心と魂の安らぎを求めて【世界遺産】」 ↓ をご覧下さい。
逆指しの藤(さかさしのふじ)
平安時代に活躍した高僧に祈親(きしん)上人という方がいらっしゃいました。この方は、非常に『法華経』を信仰していたため、持経上人とも呼ばれました。長和5年(1016年)に上人は高野山へ上られますが、当時の高野山は荒廃し、見るも無惨な世界が広がっていました。この有様を悲しんだ上人は高野山の再興を誓い、「願掛け」として藤を地面へ逆さに植えたのでした。不思議なことに、この藤はしばらくして芽生えはじめ、それとともに高野山の再興の兆しが見え始めたということです。祈親上人は高野山再興の功労者であり、弘法大師の生まれ変わりとして多くの人々から慕われました。
准胝堂(じゅんていどう)
詳しくは、「【世界遺産】高野山隠れた名所「准胝堂」を訪れる魅力【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
御影堂(みえどう)
詳しくは、「【和歌山県神社仏閣巡り】神聖な旅へ高野山 御影堂 の魅力を探る【世界遺産】」 ↓ をご覧下さい。
三鈷の松(さんこのまつ)
金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木があります。この松の木にこのようなエピソードが残っています。弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、お大師さまはこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。現在では参詣者の方々が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされています。
大塔(だいとう)
詳しくは、「【世界遺産】神秘と静寂の旅高野山 大塔(根本大塔)【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
対面桜(たいめんざくら)
古伝によりますと、もとは大塔の前、金堂の東辺りに桜があったそうです。平安時代の頃に大塔が落雷で焼失してしまいました。再建の折、「修造奉行」として平清盛が任命され、清盛は立派に大塔を再建されました。修造が終わり、供養のために登山された折、大塔の桜の樹のもとに一人の老僧が清盛の前に現れます。その老僧曰く、「大塔が修造されたことはめでたいことだ‐中略‐ただし、悪行を行うことがあれば、このさき子孫まで願望が叶うことはないだろう」と説き示され、二、三町ほど過ぎたところで、その姿が消え失せたそうです。清盛は「あれは大師であったか」と大いに心に思うところがあったそうです。このように、桜の樹木のもとにお大師さまが影向(ようごう)され、対面されたことから、その桜の樹を「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ぶようになりました。
大塔の鐘・高野四郎(こうやしろう)
詳しくは、「【世界遺産】心に響く鐘の音と伝統の味高野山壇上伽藍 大塔の鐘・高野四郎 の魅力【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
愛染堂(あいぜんどう)
詳しくは「【世界遺産】高野山壇上伽藍 愛染堂 への魅力的な旅【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
不動堂(ふどうどう)
詳しくは、「【世界遺産】静寂と神秘が織りなす高野山壇上伽藍 不動堂【和歌山県神社巡り】」 ↓ をご覧下さい。
勧学院(かんがくいん)
詳しくは、「【世界遺産】高野山への旅 金剛峯寺 勧学院 編【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
蓮池(はすいけ)
勧学院の前に位置するこの池は蓮池と呼ばれます。昭和の頃までは美しい蓮(はす)が咲き誇っていました。この池には小さな祠(ほこら)がまつられています。明和年間のこと、干ばつが度々起こり、民衆は苦しみました。そこで明和8年(1771年)、瑞相院慈光(ずいそういんじこう)というお方が善女竜王(ぜんにょりゅうおう)像と仏舎利(ぶっしゃり)を寄進し、蓮池の中島に小さな祠を建立しておまつりしたところ、たちまちに霊験が現れたそうです。平成8年(1996年)には祠とともに橋が修復され、毎年10月17日には縁日としてお勤めが行われています。
善女竜王舎については、「【和歌山県神社仏閣巡り】世界遺産高野山 善女龍王社|神秘と美しさが織りなす聖地への旅」 ↓ をご覧下さい。
大会堂(だいえどう)
詳しくは、「【世界遺産】高野山壇上伽藍の 大会堂 歴史と魅力を探る【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
三昧堂(さんまいどう)
「【世界遺産】心の安らぎを求めて高野山壇上伽藍 三昧堂 への旅【和歌山県神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
東塔(とうとう)
「【世界遺産】高野山壇上伽藍 東塔 訪れるべき魅力とおすすめツアー【神社仏閣巡り】」 ↓ をご覧下さい。
智泉廟(ちせんびょう)
東塔より東へ少し行くと、小さな廟がひっそりとたたずんでいます。この廟は、お大師さまの甥である智泉大徳(ちせんだいとく 789年~825年)の御廟です。幼い頃より非常に優秀で、お大師さまに随従し、後には入唐も果たされましたが、37歳の若さで入寂されてしまいます。お大師さまはこれを大いに悲しまれ、お墓を築かれたのでした。
蛇腹路(じゃばらみち)
伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道を「蛇腹路」と呼びます。高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、壇上伽藍を頭として現在の蓮花院(れんげいん)までを龍が臥している形に例えたのでした。そして、ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました。
六時の鐘(ろくじのかね)
壇上伽藍の中心にそびえる根本大塔(こんぽんだいとう)は、高さ45メートルの壮大な建物です。この塔は、仏教の宇宙観を表現しており、内部には色鮮やかな仏画や彫刻が施されています。特に注目すべきは、塔内部にある仏像や曼荼羅(まんだら)で、これらは空海の教えを象徴しています。
塔の周囲を散策しながら、四季折々の自然美と共にこの荘厳な建築を楽しむことができます。特に秋9月末から10月中旬には、紅葉が塔を彩り、一層の美しさを感じることができるでしょう。
魅力的なイベント:朝の勤行
高野山壇上伽藍では、毎朝行われる勤行(ごんぎょう)に参加することができます。この勤行は、僧侶たちが行う日常の修行の一環で、参加者も一緒に経文を唱えることができます。早朝の清らかな空気の中で行われる勤行は、心を洗うような体験となるでしょう。
高野山旅行 参考にした本
毎年最新版が出ます。新しい物を買いましょう。
終章:高野山壇上伽藍でのひととき
高野山壇上伽藍は、日本の歴史と仏教文化を深く感じることができる場所です。根本大塔や金堂をはじめとする美しい建物や庭園、そして心安らぐイベントが訪れる人々を待っています。忙しい日常から離れ、心の平穏を求めて高野山壇上伽藍を訪れてみませんか?
ぷりりん=@puririn4でした