お陰様で ぷりりん です

4月28日宮城県塩釜市鹽竈神社(しおがま)花まつりに行きました。
本塩竃駅を降りるとミニSLが走り、子供のふわふわドームに町内会のテントごとに食べ物のお店、くじのお店等お祭り一色。
鹽竈神社が、街に愛されている神社だと一目瞭然。
とっても素敵な、街と神社でした。

平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けている神社です。

塩釜神社の詳細とアクセス方法・行き方

住所:宮城県塩竈市一森山1-1

電話: 022-367-1611

鹽竈神社HP

駐車場: 境内の東側から北側にかけて参拝者専用の無料駐車場が4か所(第1・第2・第3・バス)300台収容

開閉門時間:3月~10月 午前5時~午後6時まで
11月~2月 午前5時~午後5時まで

境内マップダウンロード

塩竃神社へのアクセス方法・行き方

電車🚃JR仙石線 本塩釜駅→表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分
東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分
社務所前まで徒歩で約15分、タクシーで5分
(花まつり中だったので歩いてきても十分楽しめました。
お祭り中ではなくても、素敵な建物のお店が随所にあり📷スポットが多いので是非歩いてくることをお勧めします)
幼児も楽しんで歩いて行けました~

車🚙三陸自動車道
利府中ICより車で約10分
利府塩釜ICより車で約10分
仙台港北ICより車で約15分

飛行機✈仙台国際空港→仙台空港アクセス鉄道でJR仙台駅→JR仙石線に乗り換えJR本塩釜駅下車(私は、これで来ました)

鹽竈神社の由緒・御祭神・ご利益・歴史・御守・御朱印・厄払い

鹽竈神社の由来

古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。

当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。

武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により平成23年には第十八回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。

鹽竈神社の御祭神

別宮に主祭神たる塩土老翁神(しおつちおづのかみ)・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りしています。

江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった様です。陸奥國最大の社として中古より崇敬された神社の御祭神がはっきりしないのは奇異な感じがしますが、呼称も鹽竈宮・鹽竈明神・鹽竈六所明神・或いは三社の神など様々あった様です。そこで伊達家4代綱村公は社殿の造営に際し、当時の名だたる学者を集めて研究せしめ現在の三神とし、又現在の別宮の地にあった貴船社と只州(糺)宮は現在の仙台市泉区の古内に遷座されました。

鹽土老翁神は『古事記』『日本書紀』の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与えワダツミの宮へ案内した事で有名ですが、一方博識の神としても登場しています。

左右宮拝殿 ↑ 国指定重要文化財

左宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)(茨城県鹿島神宮主祭神)。右宮の経津主神(ふつぬしのかみ)(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又鹽土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。

やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩釜の地名の起こりともなっております。

鹽竈神社のご利益

鹽土老翁神:航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神
海上安全・大漁満足・武運長久・安産守護・延命長寿、

左右宮の御祭神:武運・国土平定の神
別宮の祭神は無事道案内をされ、左右宮の祭神は東北平定を終え凱旋(無事還った)した事から
交通安全、必勝・成功(商売や営業の繁昌)・安産守護・延命長寿、

鹽竈神社の歴史

鹽竈神社の創建年代は明らかではありませんが、その起源は奈良時代以前にります。平安時代初期(820)に編纂された『弘仁式』主税帳逸文には「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあり、これが文献に現れた初見とされています。当時陸奥国運営のための財源に充てられていた正税が六十萬三千束の時代ですから、地方税の60分の1という破格の祭祀料を受けていた事が伺われます。しかし全国の各社を記載した『延喜式』(927年完成)の神名帳にはその名が無く、鹽竈神社は「式外社」ではありましたが中世以降、東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮として重んじられ、奥州藤原氏や中世武家領主より厚い信仰を寄せられてきました。特に江戸時代にはいると伊達家の尊崇殊の外厚く、伊達政宗以降歴代の藩主は全て大神主として奉仕してまいりました。よって江戸時代の鹽竈神社には歴代の宮司家が存在せず、実質祭祀を行っていた禰宜家がおりました。

鹽竈神社が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が考えられます。

多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。

その流れが今度は武家社会に入ると陸奥國総鎮守として一層尊崇を集めてきたものでしょう。

塩竃神社のお守り

うまくいく御守

心願成就の御守です。
サイズ:8×4cm 外装14×7.5cm

¥1,000

鹽竈神社 御朱印

塩釜神社 厄払い

ご祈願受付時間(予約不要です)

1月・12月 午前8時30分~午後3時30分
2月・11月 午前8時30分~午後4時
3月~10月 午前8時30分~午後4時30分
※新年のご祈願については、別途お問い合わせください。

ご祈願料(ご祈願1件につき)

個人  5,000円~
※安産祈願、初宮詣は10,000円以上となります。
会社・団体 10,000円~

▼会社・団体の方についてはご予約必要

鹽竈神社 花まつり境内の様子

鹽竈神社 東参道

鹽竈神社博物館

鹽竈神社 東神門

鹽竈神社 舞殿

鹽竈神社 手水舎

鹽竈神社 狛犬

鹽竈神社 貴賓館

鹽竈神社 御神木杉

鹽竈神社 文化燈籠  塩竃市指定重要文化財

鹽竈神社 花まつり御神輿

隋身門 ↓ 国指定重要文化財

douen.net

スポンサーリンク